The 108 Klesha

自分で、考える

#103 年賀状は無駄なんだろうか

そろそろ年末。

テレビCMや地下鉄のポスターで、近頃はよく年賀状の広告を見るようになってきました。

僕は毎年、年賀状を書こうと思っています。
実際、書く数、送る数共に少なくなってはいますが、その時々の縁や気持ちに応じて、
大切な方々に、様々な気持ちを込めて作って、書いています。(伝わっているかは別として)

ただやはり、一月一日の朝を迎えて、毎年自分宛に届く年賀状の数が減っていっているという事実があります。(素直に悲しい)
そして増えていったメールやSNS上でのあけましておめでとう。

そんな年賀状、

僕は書きたいから書いているし、
別に書きたくない人は書かなくていいと思っています。


でもね、
やっぱり子供の頃、
元旦に届く自分宛の年賀状を読むのがものすごく好きだった子供としては、
ただただ悲しいんです。どんどん周りのひとたちが年賀状を出さなくなって、
「メールでいいじゃん」
「SNSに投稿すればいいじゃん」
「てか資源の無駄だし、面倒だし」
って言われちゃうのが。

そこで少し考えてみました。
年賀状という習慣は無駄なんだろうか、
年賀状は無駄なんだろうかと。


結論から言います。


”無駄だと思う人にとっては無駄。
そうじゃない人にとっては無駄じゃない。”


そんなん当たり前だと。笑
けどこの意味、果たしてちゃんと理解しているんでしょうか。

無駄だと思う、
とはつまりそのコスト(年賀状を書く、出す、受け取る行為)に比べて、
それによって得られる対価、価値(満足感や幸せなどから金銭的なものまで)が少ない、
と感じる場合を言います。

無駄だと思う人の頭の中:コスト>対価、価値

なので、特に年賀状を書いたり、もらったりすることに馴染みの深くない若者なんかは特に、
年賀状をいちいち書くことに対する価値をあまり感じないし、
あいさつするだけならメールやメッセージの方が簡単だということを知っているので、
年賀状は無駄だと考える傾向にあります。というか、年賀状を”軽く挨拶するだけのもの”と捉えている人にとっては年賀状は全部無駄です。年賀状代も書く時間も労力も。
だってあいさつするだけ、という簡単なコミュニケーションを簡単に済ますためにメールできて、メッセージが送れるようになったわけですし。
なのでむしろ”軽く挨拶するだけ”が目的ならテクノロジーという、
大勢の人が人生を賭けて作り上げてきたものを使わないのは無礼極まりない…とまで言えてしまうかもしれません。笑


また、社交辞令的な、特別に挨拶したくもない人(上司や社長、取引先などの人たち)に対して年賀状を書かなければいけない状態の人にとって、年賀状を書くのはただただ嫌。だって挨拶したくないし。笑
それとこれは個人的な意見ですが、
挨拶したくもない人に丁寧に手紙を書く時間も労力もそれ自体が無駄なので、
年賀状の存在にイライラするのではなく、
それを命じた上司や、それ(大切に扱われること、形式的に敬われること)を期待している相手にイライラしましょう。


さて、
続けましょう。


ここで、もう一つ多くの人が思っていることがあります。
そもそも、年賀状って資源の無駄じゃないの?


無駄です。


ただし、年賀状を資源の無駄だと言うのなら、
誰かにとっては紙で出来た書籍は無駄だし、
ノートも無駄、
あらゆる製品を包装している箱や紙も無駄かもしれません。


物事から全て情緒的な要素を排除し、合理的に考えた場合、
年賀状を送り合う、という行為は、
年賀はがきという紙に挨拶と+αの文章を書いて、
日本郵政が扱っている宅配サービスを使用し、
相手に届けることで、
これには、はがきを作る資源とCO2の排出、人件費が発生します。
それだったら、資源も使わず、CO2も排出せず、
人件費も極力かからないインターネットを介したメッセージのやりとりのが当然良いということになります。


これと同様の理屈で、
本も電子書籍の方がいいし、ノートも全部evernoteとかその他ノートのアプリにすればいい。


つまり、
年賀状を資源の無駄使いだ!とは言えるけれど、
それを言ったら紙媒体のものはすべて無駄だ!というのとほぼ同値だし、
他の紙媒体が年賀状と決定的に違うことがあって、それをしっかりと説明できなければいけない、というものすごく面倒くさい条件が付いてきます。笑
(年賀状よりもはるかに紙の本の方が情報の伝達純度が高くて価値のあるものだと言うのなら、その実験結果が必要だし、価値が高いかどうかは個人によるのでそこも統計的な調査結果が欲しくなる…みたいな)


ふぅ、

まぁ要するに、
年賀状は、
”無駄だと思う人にとっては無駄。
そうじゃない人にとっては無駄じゃない。”

ってことです。


年賀状について調べてたら、
グーグルの予測検索で、”年賀状 資源の無駄”って出てきて、笑
しかもその検索結果をいろいろ見てみたらだいたいみんな、
「資源の無駄」とか「まじで書くのが面倒、だから年賀状という慣習なくなれ」とか言ってたので、少し考えて書いてみました。


ものすごく感覚的に、かつ個人的に、
合理性とはかけはなれたところにある無駄、みたいなものに最近すごく魅力を感じるし惹かれます。

そこにはまだ人には解明できていない、
もっとも人らしいところがあるからかもしれません。



さ、年賀状書こ〜っと。



今日の煩悩終わりっ!

ぺっ!