#108 日本の何かを広めたいって嘘じゃね
こんにちは。
今日、
家に帰ってくると父が、BSでやっていた”連合艦隊司令長官 山本五十六”(2011)という映画を観ていたので途中からでしたが観ました。
これです。(クリックするとあらすじがあるアマゾンページが表示)
実はすでに一度か二度見たことがあって、雰囲気はなんとなくしっていました。
父が横にいると色々な歴史の背景やコメントが矢継ぎ早に飛んでくるので勉強になります。まぁそれはいいとして、(父には毎回非常に感謝しています)
”国”ってなんだろうなと。
いや、国っていうよりも、映画の中にいた、もしくは第二次世界大戦を生きていた、
”日本人”とされる人たちって僕たちにとってなんなんだろうなと。
父の話を聞いていると、僕の祖父が通っていた士官学校の校長は井上成美という人で、映画にも出てきていて、ものすごく簡単にいうと山本五十六を慕ってる海軍の偉い人だったみたいです。
こう考えるとなんとなくつながりを感じます。
つながりを感じるものの、なんとなくその頃の”日本人”と僕ら”日本人”では全く違うような気もしてしまう。
まぁ生きてる時代、環境が違うから当たり前ですが。
ただ生きてる時代が違うからといって根っこにある考え方や生き方ってそうそう変わるものではないなと思って考えていたらなんとなく答えみたいなものが出てきたので書いときます。
大日本帝国の”日本人”は、
日本のために、ひいては育ててくれた土地のために、そして親のために命をかけます。大義名分で敵母艦に突っ込む人がいます。もしくは戦争景気に乗っかって大儲けして日本の経済をぐるぐる回して、もっと戦争しろと、強いぞ日本と、大騒ぎして日本をもっと好きになる人がいたんだと思います。良くも悪くも日本という国と運命共同体。日本が終われば自分の人生もほとんど終わり。まぁ軍人と庶民では雲泥の差があるとは思いますが。だから彼ら”日本人”は文字通り日本で生きる人だし、日本のために生きる人。
現代の”日本人”は、
そもそも命をかけるものなんてないんだと思います。
もっと正確に言うなら、自分の命をかける必要なんてないと思っている人たち、なんだと思うんです。これって少し変な気もします。だって人って大体一人当たり使える時間って今も昔も医療が発達したからっていっても大して変わんなくて、だから誰だっていま命をかけて1秒1秒生きてるのに。てことは誰だって命かけて全力で生きるべきなんじゃないかなと僕は思うわけです。親が大変な思いして産んでくれて、大変な思いして育ててくれてここまで大きくなったわけですし。
今は、誰でも考えようと思えば日本という国の未来を考えることができて、どうすれば日本が良くなるのか、経済的に成長したり安定したりできそうなのか(ほぼ無理だとしても)の見解を持つこともできるし、行動力とエネルギーとそれにリーダーシップがあったら誰だって主義主張ができる世界なわけです。
だから色んなスタートアップがたくさん生まれるし起業家がうんぬんかんぬん色んな未来を描いては語ってるわけです。
でも彼らって、そして僕らって、意識的に日本のために命なんてかけたくないんですよね。日本ていう国や、そこにいきているほぼ知らない人たちを命がけで守ろうって気はしないわけですよ。むしろ自分たちの生活を維持したいしできればできるだけ裕福に暮らしたい。暮らせるようになりたい。他人は置いといて、まずは自分がね。その間日本の経済が停滞してたってそのためにどうしたらいいとか言わない。別にあんま関係ないと思ってるから。
特に今の日本の若者(特に20代)は選挙もいかないし、そもそも政治も経済も大して気にしない。だって大学卒業見込みで就活して企業に入ればとりあえずは生きていくお金がもらえそうですから。
まぁこんな感じで考えてると、
やっぱり20世紀前半と今を比べたら特に若者の意識は明らかに違うなぁと、
思ったんですがなんだか不思議な現象が起きているなぁとも思いました。
就職して働いているもしくは就職先が決まった色んな友人と話していてものすごく耳にする言葉があります。
「日本の〜を海外に広めたいんだよね」
これ、なんなんでしょうね?
海外にいって改めて日本の良さがわかった。みたいな。
日本の接客がレベル高いってことだったり、外食が美味しいだったり、
技術力が高いことだったり、そゆこと?
まぁ彼ら的にはそゆことらしいです。
それはそれで物凄く良いことだと思います。
「なんで広げたいの?もっとたくさんの人に知って欲しいの?」って聞くと、
「良いもの広げるのって良いことだから」とか
「自分は日本人で、日本で育ったから」とか。
僕は、これ全部嘘なんじゃないかと思ってます。
本心は、
「大学まで卒業したけど、自分が今持っている資源で企業に雇ってもらえて活用できるのって日本で生活したっていう経験から得たスキルくらいだから、それに縋ってます」
なんじゃないかなと。気づいている気づいていないに関わらず。
日本の文化や良いところ、ことをもっと世界に広めるって、
日本人なら誰でもできる可能性のある、ものすごく”日本のため”になることです。
日本の認知度を上げて、さらに好感度まで上げる。さらには海外に出て多くの目に触れることでその良いもの自体のクオリティも向上させる。そしてうまくいけば元は日本のなんだから日本経済に良い影響を与えます。
これってものすごく日本のためですよね。
けど多分今の人たちってこれ、日本のためだとかまったく思ってないし、そもそも日本を広めたいっていう理由が自己中心的すぎる。しかも自分で思ってる理由が側から見た理由とかけ離れてる。むしろ日本のためってことに気付いたらなんか嫌になるような人もいるんじゃないかな。
今の若者は”日本”のことなんて何一つ知らないんじゃないかなと僕は思います。
僕も含めて日本について知っているのって多分すごく表面的なところ。
人にたとえたら学歴とか顔とか性別とか要するにfacebookのプロフィールに載っているようなことしか知らない。
日本の技術力が高いとか、外食が美味しいとか、接客が上手いとか、
それだけでこれから命かけて、命削ってそのために働き続けていけるのかなと。
自分的には働くのは自分のためで、より裕福になるためって納得してて、
だけど仕事場にいったら大して知らない日本のために働く。
この構造で、ほんとに命かけられんのかなと。
なんだか頭の中にもやもやが、ぐるぐるします。
山本五十六という人や、その時代を生きた人は、本当に毎日を全力で生きたんだと思います。命をかけて生きるために、大事なものを守るために生きたんだと思います。
戦争の話や映画、本を読むと、ああ今の時代に日本に生まれてよかったなと思う自分がいます。多分大勢の人がそうなんじゃないかなと。
けれど、その反面、あの時代に憧れるところもあるんだと思います。ものすごく。
それは、
命をかけて生きるということが、どういうことか見えにくくなった今だからこそ、
生きづらくなった今だからこそ、
全力で生きることができた人たちに対する、
そして全力で生きるしかなかった、もしくは誰もが全力で生きられた時代に対する、
憧れや嫉妬なのではないかなと。
そんなことを思いました。
今日の煩悩おわり。
ぺっ!