#107 チャレンジしやすい世の中になったって本当?
最近思ったのですが、
今おそらく先進国をはじめとした特にネットにつながる人たちの見解では、
”今の時代は昔に比べてものすごく何かをはじめやすくなった。チャレンジしやすくなった” みたいですよね。
そしておそらくみなさんも「たしかにそうよな」と。
だって以前に比べて誰でもタダでWebページ作れちゃうし、Youtubeのチャンネルも開設できる。プログラミングを勉強してMacでアプリ作ればもしかしたら一躍有名人になれるかもしれない。
そりゃ「たしかにそうだよな」ってなりますよね。以前よりもチャレンジするのは簡単になったなと。
けど、ほんとにそうなんでしょうか?
おそらく、インターネットが普及し始めた当初(2000年始めくらいまで)はそれこそ文字通り”チャレンジの敷居が低くなった”んだと思います。それはもう信じられないくらいに。それは先ほど述べたような、本当に(インターネットにつながる人なら)誰でも一躍有名になれる可能性が上がったということでしょう。
ただ、考えてみてください。
今の状況と、その時で圧倒的に違うものがありませんか?
それは、ネット上に溢れているコンテンツの質です。アップルストアに溢れているアプリ一つ一つの質です。
僕はこれって一般的に言われている、”今の時代は昔に比べてものすごく何かをはじめやすくなった。チャレンジしやすくなった”という考え方を根本から覆してしまう要素なんではないかと思っています。
ものすごく簡単に今何が起きているかというと、
”目が肥えてきた”って事です。
それもインターネットを使えるほぼすべての人たちの目が。それはチャレンジしたいしたくないに関わらずです。
これ別に何かを作ってお金儲けしたいとか有名になりたいって人じゃなければ特に問題なく今まで通り楽しくサーフィンを続ければいいんですが、その誰でも使えるインターネットを使って何かをはじめようとする人にとっては大変なことですよね。
まず、作ったものを見る人の目が肥えてます。
簡単にいうと評価が厳しい。
「デザインがダサい」「なんかありきたり」「読み込みが遅い」などなど…
チャレンジしやすくなったけどそれって要するにいきなり世界規模のレースに参加できるようになったってことです。
そこには超一流の技術で洗礼されたプロダクトを作る企業や、スペシャリストと呼ばれる個人、はたまた幼い頃からプログラミングしてますデザインしてます音楽やってますって人が五万といる。
そんな中でのレース。一般人にとってはハンパないですよね。(まぁこれを回避する術はまだまだいくらでもありますが。誰もまだ走ってないレースを作って一人で走りだす、競争相手の少ないところを走りだす、誰ともかぶらない目的地を目指す、等々。)
そしてもう一つが、作る人(自分たち)の目も肥えているってことです。これが一番やっかいだなと。
特殊な教養や能力(スキル、ものすごくバイオリンが上手い、スプーンを曲げられる、ものすごく太ってる、話がものすごく上手いから始まり、IQが200超えてるとか視力が5.0とかその他いろいろ)をまだ持っていない人からすると、パソコンの画面を見たら世界中からクオリティの高いものばっかりが一瞬で集まってきて見れちゃうっていう状況下で、自分が今作ろうとしているものとすでにパソコンで見れるものを比べないわけがないんですよ。
それは意識しているしていないに関わらず。
webサイトを作ろうとしていて、自分が納得するデザインがなかなか作れない。それはなぜだと思いますか?
自分が書いたエッセイやイラストをインターネット上に投稿しないのはなんででしょう?
これって僕は、日々見ているもののクオリティが高くなってしまっているからではないかなと。加えて日本には根本的に”褒める”という文化がありません。文化がないというよりも親しい親しくないに関わらずクオリティ重視の評価をするんです。みんな真面目なんです。褒めないだけならまだしも批判までしてきちゃう人や親切にアドバイスまでくれる人もいるくらいです。
自分が納得するものを作って発信することにチャレンジするだけでも一苦労(自分の肥えてしまった目による基準をクリアすること)なのにそれをクリアしたらしたで今度は世間の自分では特に何もチャレンジしてないけど目だけは肥えてしまっっている人たちからの批判や偏屈なアドバイスにさらされそれに耐えるもしくは対処しなければならない。
なんてこったです。心の中にあるチャレンジの壁。
なので僕は
”今の時代は昔に比べてものすごく何かをはじめやすくなった。チャレンジしやすくなった”というのは今ではなくもう少し前の時代の人たちの言葉だと思っています。
ただ、人を取り巻く環境がインターネットによって変わって色々なことが言われる中でも結局簡単なところは変わっていないのではないかなと、こんなことを考えていて思いました。
結局、昔(Befor Internet,right after internet)も今も、
クオリティがどうあれ、頭の良さがどうあれ、スキルがどうあれ、チャレンジしやすくなったとかどうとか関係なく、
がむしゃらに人生かけてやってますって人はいつだって壁を破っていくんじゃないかなと。
ここまでうんぬんかんぬん言ってきて結局精神論になってしまいましたが個人的にはこれが今の時代の正しい認識なんじゃないかなと。
今はまたチャレンジしずらい世の中になってきた。それは自分含め周りの人の要求レベルが無意識に上がってきてしまっているから。そしてそれを感じているから。つまりはチャレンジしやすさは結局インターネット以前とあまり変わらない。だから結果につながる人の大前提も大して変わらない。こんな感じですかね?笑
ふう。
今日の煩悩おわり!
ぺっ!
今日の参考文献